聖女マザーテレサの生涯。


1910年8月27日。

旧ユーゴスラビアのスコピエに産まれました。


旧名ですがアグネス・ゴンジャと名付けられました。


9歳の時に父親を亡くします。


母のドラーナは熱心なカトリックの信者でした。

いつもアグネスを教会のミサに連れて行きました。


アグネス(マザーテレサ)はあつい信仰で育まれました。


神父さんから聖フランシスコの話を聞いて。

宣教師を志します。


中学生の頃。

決心して。

アイルランドにあるロレット修道会に修道女として赴きます。


ロレット修道会で志願生として修練を積み。

インドを希望して現地に赴きます。

インドのロレット修道院で勉学に励んだ末。

アグネスにテレサという修道名がつきます。


カルタッタに移動し。

聖マリア女学校で勉学に励みます。


アグネスは一人前になりました。


評判が良く人徳があり。

テレサは学校の校長に任命されました。


校長になり。

聖テレサ女学校へ赴く際に。

たくさんの路上生活者を目にしました。

テレサは大変に心を痛めて。

人々を救いたいと思ったそうです。


カルタッタでは病人や路上生活者で溢れかえっており。

とても人が住む世界ではありませんでした。


第二次世界大戦が始まりました。


人々を助けるためにスラムに降りると志願しましたが。

律法があり。

すぐには承認されませんでしたが。

カルタッタ大司教に相談して。

二年後にようやく許可が出されました。


病院の門を叩いて医療の知識を短期間で習得しました。


スラムで子供たちに学校を開き。

文字を教えはじめます。

青空教室と呼びます。


病人の看病を始めました。

また。

路上生活者に食糧を与えました。


寄付が募りはじめ。

スバシエという女性がテレサの手助けをしてくれました。


たくさんの修道女が仲間に加わってくれました。

この頃からマザーテレサと呼ばれるようになります。


困っているひとたちの助けを続けます。


エクセム神父の友人が家をテレサに譲りました。

これはマザーハウスと呼ばれるようになり。

テレサたちの本拠地になりました。


カルタッタでは多数の死亡者や路上生活者。

病人からはぐれた子供までたくさんいて。

悲惨な状態でした。


命を見捨てたくないという意思から。

市役所を訪ねて。

ヒンドゥー教の寺院を借りました。

病人や死にかかっている人々を看病しています。


死を待つ家と呼ばれ。

病人や死亡寸前の人々が搬送され。

初めて人間らしく扱われたという人も居たそうです。


ヒンズー教の人々が先走って。

キリスト教の人々が寺院を使うのが気に食わず。

警察に訴えますが。

立ち退き保安官は惨状を見て執行しませんでした。

テレサの心が分かってくると。

ヒンズー教の人々はテレサの仕事に手を貸すようになり。

仲間になりました。


青空教室が続いていきます。

参加生徒はかなり増えていました。


カルタッタでは赤子がゴミ捨て場に放置されて死亡するケースが多くあり。

それを見たテレサは孤児の家を設けました。

捨てられた赤子は孤児の家で育っていきます。


里親制度を発案し実行。

孤児は世界中の里親に引き取られていきました。


テレサの元に世界中から寄付が寄せられています。


ハンセン病の患者がテレサの元に訪れます。

テレサはハンセン病の正しい知識を広めました。

また。

患者に雇用を与えました。


ローマ法王が自分の乗っていた高級車をテレサにプレゼントしましたが。

高級車を商品に宝くじにして資金を調達。

ハンセン病患者のための村を作りました。


インド国外に修道会を開くことを許可されて。

飛行機で飛び回ります。


日本に来日しています。


1979年12月10日。

ノーベル平和賞を受賞。


神の元へ帰還しました。